生年月日1989. 3. 5
生産地北海道登別
生産者ユートピア牧場
性別牡
毛色黒鹿毛
調教師飯塚好次(美浦南)
馬主栗林英雄
競走成績25戦6勝
獲得賞金729,497,200円
受賞歴1995年 JRA賞特別賞
買い方が初心者丸出しだったわ
記録を打ち砕いといてその後安定して活躍出来ない事をネチネチ言われてた
杉本清なんかもサラブレッド賛歌とかでその事をダメだししてた
長い不振の後絶対的な主役がいない中で復活勝利したら
一斉に手のひら返してようやく喝采浴びるようになったがすぐ予後って死んだ
3歳新馬 1着
新潟3歳ステークス(GⅢ) 11着
芙蓉ステークス 1着
四歳
スプリングステークス(GⅡ) 4着
皐月賞(GⅠ) 8着
NHK杯(GⅡ) 8着
ダービー 2着
セントライト記念(GⅡ) 2着
神戸新聞杯(GⅡ) 2着
菊花賞(GⅠ) 1着R
有馬記念(GⅠ) 8着
神戸新聞杯じゃなくて京都新聞杯
目黒記念(GⅡ) 2着
日経賞(GⅡ) 1着
天皇賞(春)(GⅠ) 1着R
オールカマー(GⅢ) 3着
天皇賞(秋)(GⅠ) 6着
ジャパンカップ(GⅠ) 14着
有馬記念(GⅠ) 8着
六歳
京都記念(GⅡ) 5着
日経賞(GⅡ) 2着
有馬記念(GⅠ) 3着
七歳
京都記念(GⅡ) 6着
日経賞(GⅡ) 6着
天皇賞(春)(GⅠ) 1着
宝塚記念(GⅠ) 競走中止※予後不良
死に様がかわいそうであり
それによりライスシャワーと言う馬の馬生がひきたつ
合掌
父は桜花賞馬シャダイカグラを輩出したリアルシャダイ、母ライラックポイント、母の父が生涯無敗のまま引退し、菊花賞馬レオダーバン等を輩出したマルゼンスキーという良血馬だった。
生まれた直後から優れた身体能力を発揮しており、様々な所から購入の申し出があった。
しかしユートピア牧場所有者の栗林英雄氏は、生産馬を自分の馬にする「オーナーブリーダー」であったため、それらの申し出をすべて拒否。そのまま栗林氏の馬となった。
その後、馴致育成のため千葉県の大東牧場へ移動される。
ここでも高い身体能力を発揮した上、馴致に手がかからなかったため育成はサクサク進んだ。
1991年に、美浦の飯塚好次調教師の厩舎に入厩。
「この馬に触れた人に幸福が訪れるように」という意味を込め、「ライスシャワー」と名付けられた。
しかしこの新馬戦の前に熱発を起こし、レースを回避。デビューは1か月後にまでずれ込み、新潟競馬場でのデビューとなった。
この時の鞍上には、飯塚厩舎の専属騎手である水野貴広が迎えられた。
単勝オッズ3.1倍の2番人気だったが、1番人気のダイイチリユモンをクビ差で制し1着。
デビュー勝ちを飾ったライスシャワーは、早速重賞競走のGⅢ新潟3歳ステークスに出走した。
しかし、このレースでは出遅れが響き11着と大敗してしまう。
次走の芙蓉ステークスこそアタマ差で勝利したが、直後に骨折が発覚し、休養に入る事となった。
しかし4着に敗れてしまい、皐月賞への優先出走権は逃してしまう。
本番の皐月賞でも8着と完敗。
さらにダービートライアルのGⅡNHK杯でも着外に沈んでしまった。
4歳になってから馬券に絡む事すらできなかったライスシャワー。
本番の日本ダービーで16番人気という超低人気だったが、それも致し方ない事だろう。
ところが、このレースでライスシャワーは2着に入った。1着のミホノブルボンにこそ4馬身差をつけられての完敗だったが、それでも日本ダービーで2着に入ったのは事実である。
そして夏場に休養を挟んだライスシャワーは、秋シーズンへ向け着々と力を蓄えていった。
秋になり、ライスシャワーは菊花賞のトライアル競走GⅡセントライト記念と、同じくトライアルのGⅡ神戸新聞杯へ出走。
両競走で2着となったライスシャワーは、いよいよクラシック菊花賞へと参戦する。
当日、競馬ファンの興味はほとんどがミホノブルボンへと向かっていた。
なぜならブルボンはここまで無敗であり、このレースに勝てば「皇帝」シンボリルドルフに次いで2頭目となる無敗の3冠馬となるからである。
もちろん、1番人気はミホノブルボン。ライスシャワーは単勝オッズ7.3倍の2番人気に甘んじる事となった。
そして、レースがスタート。まずキョウエイボーガンがハナを奪い、ライスシャワーは5番手辺りで競馬を進める。
2周目の最終コーナーでキョウエイボーガンが失速すると、ミホノブルボンがすかさず先頭へ躍り出た。
そのままミホノブルボンが先頭でゴールする。そう、多くの観客が思っただろう。
直線半ばでミホノブルボンを差し切ったライスシャワーは、それまで後塵を拝し続けたミホノブルボンに遂に先着した。
1着でゴールしたのは、ライスシャワーだったのである。
クラシックを制覇し、さらにレコードタイムも叩きだしたライスシャワーだった。
しかし、観衆は素直にライスシャワーを祝福する事は出来なかった。
なんといっても無敗の3冠が目の前で阻まれたのだ。それも今までブルボンに負け続けた馬に、である。
スタンドからはライスシャワーを祝福する歓声ではなく、3冠を阻まれたミホノブルボンへの同情とライスシャワーに対する怒りにも似た感情が入り混じったどよめきが聞こえていた。
この時から、ライスシャワーにはある種の「ヒール」役が定着する事となる。
2番人気に推されたものの、レースでは再結成を果たしたメジロパーマーとダイタクヘリオスのバカコンビが10馬身近くというバカ逃げを行った。
最終的にダイタクヘリオスが失速し、メジロパーマーが勝利。
結局ライスシャワーは8着に敗れてしまった。なお、3着にはいつも通りナイスネイチャが入った。
しかし、以前に下したマチカネタンホイザに敗れ2着止まり。
そんな結果でも、次走のGⅡ日経賞では1番人気に支持される。
その人気に応え、2着のイタリアンカラーに2馬身半の差をつけて快勝した。
というところで、陣営はライスシャワーをあるGⅠレースに出走させる事にした。
3200mの長距離を走りぬく過酷なGⅠ、天皇賞(春)である。
しかし、この年の天皇賞にはある強敵が存在していた。
単勝オッズ1.6倍。驚異的な人気を得て春の天皇賞3連覇を狙う「最強のステイヤー」、メジロマックイーンである。
天皇賞(春)2連覇に加え菊花賞も制した、名実ともに現役最強のステイヤー。
そんな馬が、春の天皇賞3連覇という大偉業をかけて出走してきたのだ。
「マックイーンに勝つ前に壊れる」と言われるぐらい過酷なものを。
結果、当日の馬体重は430kg、目黒記念から-12kgもの体重減であり、限界まで体を絞ってきた。
前年の有馬記念を制したメジロパーマーが相方不在のまま大逃げを打つと、マックイーンはそれに追走し2番手。ライスシャワーは両馬、特にマックイーンをマークしながら走っていた。
そして、パーマーの失速と同時に先頭に立ったマックイーン。ここで、ライスシャワーはすかさず仕掛けていった。
この時、実況の杉本清アナは「関東の刺客、ライスシャワー!!」というフレーズを使用した。
前年に勝利したミホノブルボン、そして今回勝利したメジロマックイーンの2頭はともに栗東トレーニングセンター、つまり関西の馬だったのである。
それら関西の馬の記録を、ライスシャワーはことごとく阻んでいた。まさに「関東の刺客」である。
秋初戦のGⅢオールカマーで3着となったのを皮切りに、天皇賞(秋)6着、ジャパンカップ14着、有馬記念8着と負け続け。
翌年、6歳となってもライスシャワーはGⅡ京都記念5着、GⅡ日経賞2着と勝ちきれなかった。
その上、天皇賞(春)への調整中に右前管骨を骨折してしまう。
競走馬としてやっていけるかが危ぶまれる程の重傷であり、一時期は引退も検討された程である。
しかし、長距離でしか結果を残していない上に小柄な馬体だったため、種牡馬としての受け入れ先は見つからず、現役続行となった。
その後年末のグランプリ有馬記念に出走したものの、ここでも3着に敗れてしまった。
5歳秋初戦で使ったGⅢ産経賞オールカマーの優勝賞金は
現在の3歳TR GⅡ競走(弥生賞、ローズSなど)と同じくらいなんだよね。
ブルボンとマックイーンを倒した力は本物だよ
このレースには、それまでの有馬記念で3年連続3着の珍記録を持つナイスネイチャも出走していた。
ライスシャワーは、有馬記念4年連続3着というナイスネイチャの大異業を見事に阻んでいたのである。
だからどうした?返す言葉もございません。
翌年、7歳となっても勝つ事ができないライスシャワー。
GⅡ京都記念、GⅡ日経賞に去年に引き続いて参戦したものの、両レースとも6着に敗れた。
3冠馬ナリタブライアンが故障によって回避しており、本命馬不在の中でのレースとなった。それまでのスランプのためか、単勝オッズは5.8倍の4番人気。
しかし、レースでは800m近くに渡ってロングスパートを敢行。
第4コーナーで先頭に立ち、後続を引き離しにかかるが後ろからステージチャンプが追い込んできた。
そのまま2頭並んでゴールイン。ステージチャンプに騎乗していた蛯名正義騎手はガッツポーズを行った。ライスシャワーは僅差で敗れたのか?
勝負の行方は、写真判定にゆだねられた。
そして写真判定の結果、勝利したのはライスシャワーだった。
それまで9戦、実に2年ぶりの勝利。
ライスシャワーは、見事に復活を果たしたのだった。
そしてこの瞬間、競馬ファンのライスシャワーへの評価は一転した。
様々な記録を阻止し続ける「ヒール」から、挫折を乗り越え復活した「ヒーロー」へと─
当初は休養の予定だったが、繁殖生活上中距離レースでの勝利もあった方が良かった事や、
斤量がそれまでよりはるかに軽い56kgだった事、
阪神・淡路大震災復興支援競走となったこのレースにファン投票1位の馬が出走しないのは・・・などの理由もあり、参戦が決定した。
阪神・淡路大震災により、京都競馬場で施行されたこのレース。
ライスシャワーは単勝オッズ6.0倍の3番人気だった。
宝塚使った理由はたしかにこれらのことなんだけども
それでも当時なんで使うんだろうな
やめておけばいいのにと思ったものだ
春天は展開に恵まれたのが大きく力の衰えは明らか
そして例え全盛期の力が出せる状態であっても
阪神のG1で勝ち負けできる馬ではなかった
レースを見てても追走に手一杯
そうしてるうちにあの故障
なんとも悲しくなったわ
あの年の宝塚記念は京都開催だぞ
後方でレースを進めたライスシャワー。いつも通り、最後の直線で追い込んでくる戦法だったのだろう。
しかし、ライスシャワーが直線にやってくる事は無かった。
第3コーナーでライスシャワーは前のめりに転倒し、落馬。
左第一指関節解放脱臼に加え、粉砕骨折を発症しており、もはや手当ての術は無かった。
予後不良と診断されたライスシャワーは、馬運車の中で安楽死処分を受けた。
主戦騎手の的場は、ライスシャワーの遺体を載せた馬運車に対し最敬礼を行い、相棒を見送った。
でもそこから負け続けて…「お前いい加減にしろよ…あれだけの偉業阻止しといて。はよ復活せえよ。。。」という風に見るようになった。
だから95春復活は格別。本当に嬉しかった。それも今までに無い三角先頭押し切り。あたかも、その先にブルボン、マックがいるような動き出し…。
花を添えるのが、直線向いて『いやぁ、やっぱりこの馬は強いのかぁ!』by杉本清
ローズプリンスダムは本当に久し振りの活躍馬。
長い不調から奇跡の復活を果たした天皇賞。
その2つのレースの舞台となった京都競馬場。
ライスシャワーの生き様がしっかりと刻み込まれた淀の地で、
彼はその一生を終えた。
京都競馬場にはそのライスシャワーの碑が建てられており、
今でも花などが供えられている。
淀で咲いて淀に散る
時代を駆け抜けた一陣の旋風だった
ブルボンもマックも嫌いなタイプの馬だったから、当然と言えば当然だ
ダービーの万馬券も獲らせてもらったし、この馬には100万円以上稼がせて
もらったよ
でも最期のレースとなる宝塚記念ではライスがらみの馬券は1円たりとも
買わなかった、適性外だとわかっていたからね
馬券は本線で的中し、大儲けした
が、競走中止という現実にショックを受け、当たったのに全然嬉しくなかった
小柄な馬体にもかかわらず、あの沈み込むような走りは今でも鮮明に覚えている
忘れられない
95年の大震災、オウムと共に忘れられない出来事
そして宝塚を生観戦して二度と特定の馬を好きにはならないと決めた
死ぬか生きるかで評価が別れた非情の世界
マックの不調にブライアンの故障とライスの馬生は
早逝したこと以外は恵まれ過ぎていた
マックイーンって不調だったの?
レコード叩き出したり宝塚勝ってるの見るにそんな感じしないんだけど
いやもう完全に弱くなってましたよ。
バカか?あの京都大賞典見てないんか。どこが弱くなってるんや。6歳にして競走馬としてのピークやろ。春天はそれまでの2年との時計を比較してもわかるようにライスが強すぎただけ。少なくともあのレースの時はだけど
ムリにGIばかり使われることなく死なずに済んだかもな
今は2000メートル馬が長距離勝つ馬場だもんなあ
絶対に来ないと断言できた
天秋はステイヤーのレースではなくマイラーのレース
にしてもヤマニンゼファーが勝つとも思わなかった
あの年はレベルが低かったのだろう
ブルボンが無事ならブッチ切っていた
それ以外のレースでは日経賞に片鱗が見られた位か
今居る馬には例えにくい
馬場も変わったしそれに合わせて血統も変わった
だからこういう馬はもういない
アサカリジェントでクラシックの先約があって結局叶わなくて、的場さんが手綱をとることになったわけだけど。
子供扱いされたダービーと比べ、確実にブルボンとの差が詰まってる
ブルボン絶対と言われていたが、あのレースで、ライスシャワーだけは本番でブルボンに勝つ可能性があるかも…って感じになった。
菊花賞では、ブルボン・ライスシャワー以外に馬券に絡むとしたらマチカネが僅かに可能性がある位で、他馬は絶対に来ないと言えるほどクソメンツだったなぁ。
その割にブルボンとの馬連は1000円しか買ってなかった。今思えば1~2万は買えた馬券だった
特に休み明けのオールカマーと秋天でツインターボを追いかけたのがダメージに繋がったと俺はみてる
vsセキテイリュウオー 3勝3敗
vsナイスネイチャ 2勝4敗
vsイクノディクタス 4勝1敗
vsホワイトストーン 4勝0敗
vsアイルトンシンボリ 3勝1敗
vsウィッシュドリーム 3勝1敗
vsシャコーグレイド 3勝1敗
vsツインターボ 3勝1敗
vsメジロパーマー 1勝3敗
vsレガシーワールド 0勝4敗
vsフジヤマケンザン 2勝1敗
vsムービースター 2勝1敗
vsムッシュシェクル 2勝1敗
vsステージチャンプ 1勝2敗
vsチョウカイキャロル 1勝2敗
vsヤシマソブリン 2勝0敗
vsヤマニングローバル 2勝0敗
vsウイニングチケット 1勝1敗
vsエアダブリン 1勝1敗
vsオースミロッチ 1勝1敗
vsゴーゴーゼット 1勝1敗
vsサクラチトセオー 1勝1敗
vsダンシングサーパス 1勝1敗
vsトウカイテイオー 1勝1敗
vsネーハイシーザー 1勝1敗
vsハギノリアルキング 1勝1敗
vsビワハヤヒデ 0勝2敗
マチカネタンホイザと10回も戦ってんのかよwww
結構いい勝負だし
タンホイザは同期だし、おそらく2500mがベスト。
菊花賞や天皇賞(春)だとライス有利だが、目黒記念や日経賞、有馬記念ではタンホイザやや有利だった。G1級だったと思う。
90~94年の各世代を代表する馬全てとG1で戦ったのはこの馬くらいだろ
その顕著な特徴を示したのはこの馬が最初だったね
霊安室に止め置かれたライスシャワー
怪我の手当てを終えた的場が霊安室に入ろうとすると
「骨が出てるし酷い状態なので見ない方がいい」
と係員が止めた
的場は言った
「いや どんな状態であろうと
最後にもう一度会ってお礼とお別れを言わないといけないんだ」
的場は一人で霊安室に入っていったそうだ
寒気がするほどの迫力だった。
メジロ二騎掛りを完璧な形で捩じ伏せちゃうんだもんなあ。
伊達にブルボンの三冠止めてないわ。
稀代のバケモノの一頭だよ。
もしあの年通常通り宝塚記念が阪神で開催されていたら
かなりの高確率で予後不良にはなっていなかった
正にステイヤーのステイヤーによるステイヤーの為のレースって感じ。
例えばキタサンとかサトダイが93の春天に出てたら
4角回る頃には手応えが怪しくなってガス欠を起こすだろうな。
ゲスト解説の田原成貴が「ライスシャワー!」と言ってすぐ落馬に気が付き言い直したが
視聴者からクレームの手紙が来た
普段この手の手紙に返事を書かない杉本清が初めてお詫びの手紙を書いたのだった
時計がすべてではないにしろ、あまりにも無理がある。ユタカも認めてるように93年がピークでしょ。90~92は同期や1つ上の世代に強いステイヤーがいなかっただけ。
ユタカが「この馬はマイルチャンピオンでも勝てる」と言っていたのは、逆に決してステイヤーとして最強とは思っていないということの証明。
俺はユートピア牧場に墓参りに行ったんだけど、その時たまたま馬主さんが声掛けてくれて、種牡馬の価値を上げるには2000前後のレースを使って勝ち負けしないと、と当時周囲の関係者に言われたらしい。
ライスを殺したのは私だと自分自身を凄く責めて後悔していたよ。
2000前後のスピード競馬には合わないのはわかってたのにと。さすがにその話を聞かされて本気で泣いたわ。
最後に関係者だけに配ってるライスのポスターを貰ったり、ライラックポイントと一緒に写真を撮らせてくれたりと、すごくいい奥さんだったな。
オーナーはともかく牝系を守る気が一切なかった無能な牧場の連中には腹が立つわ
サンデーの種付け権持ってたのにライスの母や姉妹には付けなかった
母の死後もライスの姉妹をどんどん淘汰していって(トニービン産の妹がすぐ死んだのが痛かったのもあるが)
他の馬主に売られて地方で頑張ってた姪っこが今年、引退後に繁殖能力がないことが判明してファンに引き取られたらしい
生き残ってるライスの姪っこは彼女だけで、母ライラックポイントの牝系は断絶した
牝系自体も断絶寸前で、他の牧場に出されて生き延びた遠縁の牝馬の子孫が3頭くらいいるだけ
馬券は会心の的中
マック絶対の空気の中ステイヤーとして格の違いを見せつけ快勝
馬券は会心の的中
単勝で勝負したいと思わせる数少ない馬だった
引用元:ライスシャワーについて語るスレ